【姉妹G】2TOPで振り返る各グループの歴史 後編
前田敦子と大島優子、指原莉乃と渡辺麻友の関係に代表されるように、AKB48グループはグループの顔となるメンバーが二項対立の関係になることが多い。
その二項対立は、運営によって仕組まれたものもある。しかし、運営の意図に反して思いもよらないメンバーがグループの顔に成り上がる場合もある。
この記事では、各48グループの2TOPの歴史を振り返る。ただし、この2TOPの変遷は、私の感覚に基づいたものである。
W松井、JRなどと呼ばれた松井珠理奈と松井玲奈は結成時からSKE48の人気1位2位を争うメンバーであった。
しばしば、若くて元気な松井珠理奈と大人っぽくお淑やかな松井玲奈の対立といったような描かれ方をした。
松井玲奈が卒業するまでこの2TOPの牙城が崩れることはなく、初期に3番手に位置していた高柳明音とは人気面で大きな差があった。
松井が卒業した後に、バラエティーでの活躍や握手会での努力で総選挙2位まで登りつめた須田亜香里が運営には押されていなかったものの、SKE48の2番手まで上り詰めた。
SKE48は結成時から現在に至るまで、松井珠理奈がずっと第一線にいるため、2TOPの変動や世代交代があまり見られない。
北川綾巴や宮前杏実のWセンター、後藤楽々のフロントメンバーへの大抜擢や、小畑優奈の単独センター、菅原茉椰のAKB48選抜への抜擢など、運営の努力は感じるものの、未だ松井珠理奈や須田亜香里といったベテランメンバーがグループの顔として活躍している。
さやみるきーとして親しまれている山本彩と渡辺美優紀は結成当時からNMB48の人気1位2位を争うメンバーであった。
しばしば、ボーイッシュでアーティスティックな山本彩とガーリーでアイドルらしい渡辺美優紀の対立といったような描かれ方をした。
渡辺美優紀が卒業するまでこの2TOPの牙城が崩れることはなく、初期に3番手に位置していた山田菜々とは人気面で大きな差があった。
(あくまで人気面に関しては、松井珠理奈と松井玲奈、少し差が開いて高柳明音といったSKE48の構造に似ていた。)
渡辺美優紀卒業後は、しばしば山本彩一強の状態が続いた。この状況に危機感を覚えた運営は山本のいないコンサートを開催するなど試行錯誤した。
渋谷凪咲のAKB48カップリングセンター抜擢や、白間美瑠と矢倉楓子のWセンター、須藤凜々花の単独センターなどを試みたものの、山本彩と対になるような人気のあるメンバーは生まれなかった。
しかし、運営には押されていなかったものの吉田朱里がYouTuberとして人気を博し、総選挙で選抜入りを果たした頃から、白間美瑠と吉田朱里の二項対立が生まれ、山本彩卒業後はこの2 TOPに移行した。
ただし、白間も吉田もともに1期生であり、SKE48と同様に世代交代が進んでいないことが窺える。
SKE48やNMB48では、人気の2TOPが結成時に自然発生したがHKT48ではそれが起こらなかった。
運営が選んだ2TOPは兒玉遥と松岡菜摘で、その雰囲気は松井珠理奈と松井玲奈に似ていた。HKT48の最初の劇場公演「手をつなぎながら」では、兒玉が珠理奈のポジション、松岡が玲奈のポジションを務めた。
当時、人気があったのは菅本裕子や宮脇咲良で、宮脇は第4回選抜総選挙でランクインを果たした。宮脇はその後、AKB48のシングル「UZA」の選抜に大抜擢されるも、HKT48内での序列が劇的に上がることはなかった。
通常、初のオリジナル曲はそのグループの1期生が務めることが多い。しかし、HKT48では1期生のセンターであった兒玉遥ではなく2期生の田島芽瑠がHKT48初のオリジナル曲「初恋バタフライ」のセンターに抜擢された。
その後しばらくの間、田島芽瑠がセンターを務めたが、兒玉遥との二項対立は見られず、二番手として安定したのは田島と同期の朝長美桜であった。
2ndシングル『メロンジュース』のジャケット撮影において、兒玉は田島の隣のWセンターの席に座った。兒玉自身も周囲のメンバーも、Wセンターとなれば田島と兒玉であろうと認識していたとみられる。しかし、スタッフからその席は朝長の席だと指摘されると、空気が張り詰めた。それほど、朝長が2番手の位置に入ることが想定外であったということである。
しかし、めるみおのセンターは3rdシングルまでで、その後は念願のセンターポジションを獲得した兒玉遥と人気面では結成時からトップクラスをキープしていた宮脇咲良の2TOP体制となった。
松岡はなというスーパールーキーが登場するも、この2TOP体制は崩れることがなかった。しかし、兒玉遥の度重なる休養や朝長美桜の怪我等、中心メンバーが第一線を退くこととなった。
2TOPを引き継ぐのは、兼ねてからなこみくとして人気のコンビであった3期生の矢吹奈子と田中美久かと思われたが、矢吹奈子がIZ*ONEに選任することが発表。さらに、宮脇も同グループに選任することが発表。そして、グループの要であった指原莉乃も卒業することが発表された。
この壊滅的な状況において、2TOP体制を引き継いだのは、矢吹という相棒を失ったものの活動中のメンバーの中で最も人気のある田中美久と兼ねてからシングルにおいて単独センターを複数回務めていた松岡はなであった。
ただし、この2TOPについては、指原莉乃ラストシングル『意志』のMVや指原莉乃卒業コンサートにおいて半ば強引に作られたものであるため、今後の流れを注視する必要がある。
このように、HKT48の2TOPの歴史が姉妹グループの中で最も動きがある。また、HKT48ははるさく、めるみお、なこみくといったように人気メンバーのセット売りをしていたこともあり、他のグループに見られる人気メンバー同士の対立があまり見られないことが特徴である。
○NGT48
NGT48もHKT48と同様に、人気2TOPが結成時に自然発生しなかった。
しかし、高倉萌香と加藤美南の関係は前田敦子と大島優子の関係に似ているといえる。高倉はショートカットで少し陰のある印象があり不器用な部分があるといったように、前田敦子との共通点が見られる。加藤は身体能力が高く明るく華があって器用であるといったように大島優子との共通点が見られる。
人気面、実力面共に高倉より加藤の方が上回っていたが、初のオリジナル曲『Maxとき315号』のセンターを務めたのは高倉萌香であった。絶対的センター高倉とそれを追う加藤という構図がデビューシングルでも続くと思われていた。
しかし、デビューシングルでセンターに抜擢されたのは、当時、握手会やSHOWROOMで圧倒的人気を博していた中井りかであった。
さらに、第9回選抜総選挙の速報で1位に輝き、最終順位も4位に輝いた荻野由佳が即座にグループの顔となった。
このように、長く続くと思われていた高倉と加藤の2TOPはデビュー前に終了し、荻野と中井の2TOPに移行した。
荻野と中井は、それぞれホリプロも太田プロに移籍し、NGT48他メンバーと比べて多くの外仕事をこなしている。
特に中井に関しては、スキャンダルの影響もあり、デビューシングルのセンターに抜擢された頃に比べて人気は下降しているが、持ち前のトークスキルでバラエティー番組で活躍しており、2TOPの座をキープしている。
STU48は結成されて、まだ歴史の浅いグループであるが、結成時から瀧野由美子を軸に据えている。
2番手には、瀧野と同じ山口県出身の岩田陽菜が定着していた。瀧野が高身長で年長メンバーでありながら初々しく不器用があるメンバーなのに対して、岩田は低身長で年少メンバーでありながらドラフト会議に出場していたこともありアイドルとしての実力を兼ね備えているメンバーという対比があった。
瀧野も岩田も人気の上位を争うメンバーであり、この2TOPに不満を示すファンは少なかった。
しかし、石田千穂の人気がみるみる上昇し、第10回選抜総選挙ではSTU48から瀧野と石田のみランクイン。石田はAKB48のスーパールーキー矢作萌夏がセンターを務める次世代メンバーによるユニット・Sucheeseにも抜擢され、STU48の2番手まで上り詰めた。