木村花さん逝去に思う「テラスハウス」の問題点

 「テラスハウス」に出演されていた木村花さんが逝去された。ネット上での誹謗中傷が引き金となったのでは?と考えられる中、この記事では「テラスハウス」という番組の問題点や責任について考える。(もちろん、ネット上での誹謗中傷を肯定するものではない。)

 

「台本は一切ありません」の功罪

 リアリティ番組である「テラスハウス」にとって、「台本がないこと」が番組のアイデンティティである。確かに、一般的なドラマやバラエティ番組のように事前に用意された台本はないかもしれない。しかし、テレビ番組というフォーマットである以上、出演者たちの共同生活の様子は「テレビ的」に編集される。つまり、たとえ事前に用意された台本はなくとも、映像を構成・編集する段階で番組側が「テレビ的」なストーリーを作っているといえる。(もちろん、出演者側が能動的に「テレビ的」な絵、言動、行動を創り出している側面もある。)

 以上に述べたことを、多くの視聴者は気づいている。本来、「テラスハウス」は「ここ絶対、台本あるでしょ」「うわ〜、番組を面白くするためにあんなことしたりこんなことしたり必死だな〜」「テレビで映っていないところの方が面白そう」といったように、視聴者が俯瞰的な視点で番組を見たとしても、面白い構成になっている。これは、プロレスに台本があるか、八百長があるかに関わらず、プロレス観戦そのものは楽しめることに似ている。

 しかし、「テラスハウス」がプロレスと違うのは毎度「台本は一切ありません」と強調されることと、出演者に役が与えられていないことである。プロレスに台本や八百長があるかを議論することはナンセンスでありながらファンタジーである。しかし、「テラスハウス」ではこの番組は虚構ではなく現実なんだということを度々強調する。そのため、一部の視聴者は画面の中の出来事は現実の出来事と信じるため、その一挙一動に「マジレス」する(これが行きすぎると誹謗中傷に繋がる)。さらに、出演者には役が与えられていない。そのため、画面の中の出演者への誹謗中傷は、ダイレクトに現実世界へ生きる出演者への誹謗中傷に繋がる。仮に、今回亡くなってしまった木村花さんが、木村花としてではなく木村花役として出演していたら、画面の中の木村花(役の人)への誹謗中傷が現実世界に生きる木村花に結びつかなかったかもしれない。

 皮肉にも、木村花さんはヒール役も経験されているプロレスラーである。現実と虚構が入り混じっているにも関わらず「現実性」を過度に強調し、現実と虚構の切り替えが難しい「本人としての出演」を求める番組の演出が木村花さんを苦しめた可能性もある。

 番組側も、編集した映像は「現実に起きたこととしてもテレビ的に脚色していること」は強調すべきだと考える。また、視聴者も「テラスハウスはテレビ的に脚色されている、でも面白い」と「テラスハウス」の見方を変える必要があると考える。

 もちろん、木村花さんを苦しめた主たる要因はSNS上での誹謗中傷かもしれないが、現実を取り扱うテレビ番組の創り方、現実が取り扱われるテレビ番組の見方にも問題があるかもしれない。